なぜ中東問題は続くのか?

矢野 裕巳 NPO法人 大本イスラエル・ パレスチナ平和研究所常務理事

 

人類愛善会創立記念講演会講演録(上)  

2018年6月3日大本本部みろく会館・講演要旨

 

 皆さま、本日はお忙しい中、「なぜ中東問 題は続くのか?」の講演にお越しいただき、 ありがとうございます。

せっかくお越しいた だいたので、“来てよかった”、“中東問題が 少し解った”と思って帰っていただきたく 思っています。

 

 中東問題というと、ユダヤ人問題、とりわけ、日ユ同祖論(日本人とユダヤ人の先祖は 共通であるという説)とか、ユダヤ人を理解 すれば世界が分かる、世界はユダヤ人が支配 し牛耳っている、というような、書籍が出回っ ていて、ベストセラーになっているものもあります。

これはこれで、関心のある人がいて もいいのですが、ただ、これが中東問題とは 言えないですね。

 そして少しく、現在の世界情勢を勉強されている方は、中東問題は一神教の対立である、 つまり、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教 の争いである、何千年の骨肉の争いであって、われわれ日本人のような、他宗にも寛容な多 神教の考えとは違うのだと結論づけておられ る人もいます。

まるで、中東問題の諸悪の根源が、不寛容なる一神教に由来しており、日 のように、自然豊かな国に生まれた宗教と、荒涼たる砂漠に生まれた宗教の違いを、ことさら力説する人がおられます。

 中東に行かれた人はご存知でしょうが、中東といっても全ての土地が砂漠というわけではありません (笑)。

自然環境の悪い土地に生まれた一神教、 そして、その自然環境に恵まれない土地に育まれた不寛容な人々の争いが問題であるかのように話す、識者、専門家も実際におられますよね。

 フィリピンはカトリック、いわゆる一神教の国で、タイ、ミャンマーは仏教国です。両国民の寛容性に大きな違いがあるのでしょうか?

 

 メディアの影響も大きいですね。イスラエル軍がパレスチナのガザを空爆し、多数の民間人、子供が殺されている映像を繰り返し茶 の間で見ていれば、イスラエルは本当にひどい国だと思いますね。もちろんいかなる理由があっても、罪のない人達を殺害することは悪以外の何物でもなく、批判を受けるのは当然です。しかし、たとえ正当化されない理由であっても、イスラエル側の言い分も伝えるべきだと思います。

 

 今日の講演の“キーワード”は「一事が万事」「All or Nothing (オールオアナッシング)」です。

 この言葉を本日の最後に結論として述 べたいと考えています。

 一つが駄目なら全部 駄目なのか、ということをテーマにしたいと思います。

 

 卑近な例ですが、親が子供を叱るときに、 「一事が万事、あんたはいつもそうや」と言 うことがあります。

 その時叱っている事柄に加えて、日頃の問題点を包括的、全面的に批判しています。

 子供側から言えば、今叱っている事柄を叱られるのならともかく、自分の日常的行動の全てを否定されてはたまったも のではない(笑)。

 夫婦喧嘩でもそうです(笑)。 よく女性からの批判で、「あなたはいつもそうだから」と言われることがあるでしょう。

 今批判されるべき事以外を含めて、時に、 かなり年代をさかのぼって、以前の問題を取り上げて批判されることがありますね。そん なことは覚えていないと言うと、あんな大事なことを覚えていないの? と傷口が広がるので、黙っているのがベストですけれど。

 ちなみにこれは一般例で、自分の体験を語っているわけではないことはここで強く、述べておきます(笑)。

私の中東との関わり

 私は、中東問題を勉強するために、大本本部で働きだしたわけではありません。 大本本部の国際関係の仕事の一つとして、中東に関わることになります。

 本日は大本信徒の方々も多くおられますが、一般の方々もおられます。

対外講演ということで、大本の事を全くご存じない方を対 象に話をさせていただいています。

 

 1998年の12月から1年間、当時の大本本部国際部で、イスラエル人のルース・ライネルさんという20代前半の女性を、日本、大本研修という事で、お預かりすることになりました。私は彼女のお世話係として、彼女と両聖地での大本行事に参加したり、地方機関に出掛けたりしました。その時、ルースさんは自分の信仰するユダヤ教について話をすることが多く、その通訳をする関係で、私自身、特に旧約聖書について、多くのことを学びました。

 その彼女がイスラエルに帰国して数日後、1999年の12月に、今度は私がイスラエルに行くことになりました。

 当時の人類愛善会事務局長・出口眞人さんと、翌年2000年の夏にイスラエルで開催される、世界エスペラント大会の準備のために、出向させていただきました。その時、眞人さんが当時の四方八洲男綾部市長から、エルサレム市長宛ての親書を預かりました。

 ここ、亀岡市・天恩郷も大本の聖地ですが、もう一つ綾部市にも大本の聖地があります。 綾部は大本発祥の地でもあります。

 その親書がきっかけで、2000年2月、 綾部市とエルサレム市は、友好都市宣言を調印しました。いわゆる姉妹都市の関係を結ぶことになります。

 エルサレムの帰属については、国際的に議論があり、パレスチナ問題の核心です。この問題については別途説明が必要ですが、とにかく、綾部市は将来、パレスチナという国家が東エルサレムを首都として樹立されたときは、パレスチナとも同様の宣言を行うとして、この時、エルサレム市と友好都市宣言を行い ました。

 昨年11月にはエルサレム市役所で、山崎善也現綾部市長とニル・バルカットエルサレム市長の会合をセッティングすることができました。

 そして、宣言から3年目の2003年、綾部市がイスラエル、パレスチナの若者を日本に招いて、お互いの紛争体験を語り合うプロ ジェクトをスタートし、2016年夏の和歌山県高野町での開催まで、10回継続しました。

 このプロジェクトは大本の主催ではありませんが、私は2003年の立ち上げから深く関わっています。後ほど少しく紹介します。

基本的な理解から

 まず、地図で、イスラエル、パレスチナ、 レバノン、イラン、イラク、シリア、サウジ アラビア、エジプトを確認しましょう。

 パレスチナはヨルダン川西岸とガザに分かれています。

 イラクとイランは言葉は似ていますが、全く別の国で、民族的にもイラク人の多数はアラブ人で、公用語はアラビア語とクルド語 です。

 イランは民族的にはペルシャ人でヨー ロッパ人(白人)に近く、公用語はペルシャ 語です。

 イスラム教には大きく分けて、スンニ派とシーア派の二つの宗派があります。

 イスラム世界全体で見ると85パーセントはスンニ派で、シーア派は少数ですが、人口の多い東南アジアやインド、パキスタン、バングラデ シュのほとんどがスンニ派である一方、中東ではスンニ派とシーア派の人口は、かなり拮抗しています。

 イランの90パーセント、イラクの60パーセントをシーア派が占めています。

 宗教のモザイク国家といわれるレバノンでもシー ア派は最大宗派です。

 バーレーンでは支配階級の王家はスンニ派 ですが、人口の過半数はシーア派です。

 テレビのニュースでイスラムの宗派争いとして、スンニ派のリーダーがサウジアラビア、対してシーア派のリーダーはイランであることは、皆さんも聞かれたことがあるはずです。

 

2018年5月 中東に起こった重要なこと

 先月(5月)中東で起こった重要なことを列記します。

(A)レバノンの選挙でのヒズボラの勝利

(B)イラクでのサドル師の勝利

(C)イラン核開発合意からの米国の離脱

(D)駐イスラエル米国大使館のエルサレムへの移転

 (A)、(B)については、イスラエルの北にあるレバノン、そして、イラクにおいて、共にシーア派の力が強くなった、と理解してください。

 イラクは、元々シーア派が多いのですが、皆さんご存知のサダム・フセインが少数派のスンニ派の独裁者として、イラクを支配して いました。そのフセインをイラク戦争で米国 がつぶした。結果、当然人数の多いシーア派が力を持つことになりますよね。

 ちなみに、これも皆さん聞いたことがあると思いますが、イスラム国あるいは、ISというのは、ざっくりと言えば、サダム・フセインに従っ ていたイラク、スンニ派の過激派が多数派のシーア派に不満を持って立ち上がり、それにさまざまなスンニ派の過激派が集まった集団と考えられます。

 (C)と(D)については、どちらもトランプ大統領の選挙目的です。

 (C)と(D)を行うことによって、ある考えを持つ人たちの大きな支持を得て、11月の中間選挙および2年後の大統領選挙で有利になる計算があるからです。

 

イランへのアメリカ人の感情

 もちろん、全ての人に当てはまらないことは当然ですが、イランに対する一般的な米国人の感情は悪いと思います。

 1979年、イラン革命が起こります。極めて大きな革命で、それまでのイランは、非常に西洋化した親米国家で、イスラム色の薄い国でしたが、革命により、一気にイスラム色の強い政権ができます。

 記憶にある人も多いと思いますが、テヘランにある米国大使館が占拠され、多くの米国人が人質に取られました。

 その時、カーター大統領が救出作戦を実施しますが、失敗します。米国の茶の間に、毎日のようにその 映像が流されます。大使館を占拠するとい うのは、まったく認められないことですよね。テヘランにあろうと、米国大使館は米国のものです。そのテヘランの米国大使館が 444日間、1年以上占拠された。アメリカ人の多くが、イランに対してネガティブな印象を持つのは、この事件の記憶が大きいと思います。

 トランプ大統領の外交姿勢を批判する人の中にも、今回のイラン核合意離脱に賛成が見られるのは、米国人のイランに対する世論も影響しているはずです。

 

 

敵の敵は味方

 今回米国が離脱した核合意は、2015年の7月に、米国、イギリス、フランス、ドイ ツ、中国、ロシアの6ヵ国とイランの間で結ばれました。

 少なくとも、この合意により、イランの核開発が抑えられたことは確かで、イスラエルの中にも、一定の評価を与える人たちもいました。

 ただし、オバマ前大統領は、もっとイランに譲歩させる合意を取り付けることができたはずだと、トランプ大統領は主張していますが、おそらく、この主張は的を得ているかもしれません。

 オバマ政権は、イランにおける穏健派ロウハニ大統領の立場を配慮し、ロウハニ大統領が、国内の強硬派を抑えて、より穏健路線を広げることができるよう、イランに肩を持たせた形で合意したと思われます。いかなる合意も完全なものはありません。

しかし、とりわけ国際的枠組みの中で一旦合意したものをすぐに破るというのは、米国の国際的信用のさらなる低下に拍車がかかるでしょう。

 共にイランを脅威と位置付けるサウジアラビアとイスラエルは、この合意を歓迎したことは言うまでもありません。

 まさに、敵の敵は味方です。

すでに決まったことを実行しただけ

 日本の米国大使館は東京にあります。いや、 米国大使館だけでなく、日本と国交を結ぶ全ての国の大使館は例外なく東京にあります。

 日本の英国大使館はロンドンにあり、日本のフランス大使館はパリにあります。

 それは、 英国の首都がロンドンであり、フランスの首都がパリであるからです。

 イスラエルの国会(クネセット)やイスラエル外務省は、エルサレムにあります。イスラエルはエルサレムを首都と考えているからです。

 しかし、日本を含む、イスラエルと国交を持つ全ての国は、テルアビブに自国の大使館を構えています。

 それは、国際社会がエルサレムはイスラエルの首都と認めていないからです。

 トランプ大統領は、その国際社会が首都と認めていないエルサレムに、自国の大使館を移転させたのです。

 ただし、米国では、ビル・ クリントン政権下の1995年に、アメリカの上院、下院共に、テルアビブからエルサレムに移転することは決議として決まっているのです。それ以降6カ月ごとに、棚上げ処置をしてきました。移転すれば、エルサレムをイスラエルの首都と認めることになるからで す。

 エルサレムが誰のものかは、まだ決まっいません。少なくとも、将来、パレスチナ国家が樹立すれば、東エルサレムを首都に、というのはパレスチナ自治政府、そして、日本を含む国際社会の見解です。

 つまり、エルサ レムの帰属は、イスラエルとパレスチナとの協議によって決まることになっています。

 トランプ大統領は歴代米国政権が守れなかったこと、実行出来なかったことを自分はしっかりと守るのだと主張しています。それは決して間違いではありません。それでは、実行に移せない法案を、ほぼ、全会一致の形で決議する、米国議会の矛盾は?

 

 

パレスチナ問題は中東問題か? 

 かつて、中東問題といえば、パレスチナ問題でした。

 ヨーロッパで迫害を受けたユダヤ 人が、かつて、自分たちの祖先が暮らしていた土地に自分たちの国を建設しようとした。これをシオニズムといいますが、現実に1948年にイスラエルを建国しました。その土地にはパレスチナ人が暮らしていた。大 ざっぱに言えば、帰って来たユダヤ人と、帰って来られたパレスチナ人との土地争いでし た。

 パレスチナ人というのは、パレスチナ地方に住むアラブ人のことです。大阪人が大阪に住む日本人で、京都人が京都に住む日本人で あるのと同じと考えていいと思います。中東問題イコールパレスチナ問題と考えられてき ました。実際にイスラエル建国以来、4度の中東戦争が起こりました。

 イスラエル建国に伴う、第1次中東戦争は1948年。スエズ運河を巡る第2次中東戦争は1956年。6日間でイスラエルが領土を4倍にした第3次中東戦争は1967年。年配の方々は記憶されているでしょうが、日本からトイレットペーパーが消えた1973年が第4次中東戦争です。

 第4次中東戦争緒戦において、アラブの奇襲が成功することがありましたが、4度の戦争の結末は全てイスラエルの勝利でした。

 4度の対イスラエル戦争をアラブ側の中心として戦ったのは、エジプト、そしてシリア、 ヨルダンでした。

 もちろんイスラムの盟主である、サウジアラビアをはじめ、全てのアラブ諸国はイスラエルと戦ったことになりま す。

 その後、エジプトがイスラエルと条約を 結び、第5次中東戦争は起こっていません。

 

変化する中東問題

 今回、イスラエルの米国大使館がエルサレムへ移転することになった時、ある評論家が、「そんなことになったら、まず、サウジアラビアが黙っていない」と問題の深刻さを強調していました。現在の中東問題を学ぶ者としては、これはいかにも時代錯誤のコメントと驚きました。

 一番黙っている、あるいは黙っていたいの は、サウジアラビアでしょう。大使館移転へ の表面的な抗議は別にして、サウジアラビアにとって、パレスチナ紛争は関心度の低い問題です。対イランを共通の目的に、米国と共に、イスラエルは最も緊密に連帯したい国の一つであり、非公式には、イスラエル、サウジアラビアの緊密度は増しています。

 かつて、イスラエルと4度戦火を交えたエ ジプトも、パレスチナ紛争は、関心度が低いというより、負担になっています。

 パレスチナは、ヨルダン川西岸のファタハ、ガザを支配するハマスの二つに分かれています。

 イスラエルの存在を認めず、敵対関係を続けるハマスは、エジプトで生まれた「モスリム同胞団」のガザ支部として設立。現在のエジプト政権は、この「モスリム同胞団」をテロ組織と見なしています。

 現在、エジプトは、シナイ半島での治安維持等で、イスラエルとの関係を深めています。

 また、サウジアラビア、エジプト共に、イスラエルと一体の米国に、安全保障、経済援助の面で大きく依存しています。

 今回の大使館移転に強く反発しているのは、パレスチナを除いて、中東諸国では非アラブの国である、トルコやイランであって、アラブ諸国は、米国、イスラエルに対して、足並みをそろえた抗議の意志を示すことができないのです。

米国のイスラエル支持

 米国の中東政策に大きな影響を与える団体として、強力なイスラエルロビーがあります。

 米国社会におけるユダヤ系米国人の影響力については、誇大に語られる面もあります。

 しかし、全米人口のわずか2パーセント弱であるにも関わらず米国社会における彼らの影響力が途方もなく大きいことは否定できません。

 1995年のエルサレムへの米国大使館移転決議についても、このイスラエルロビーの働きがありました。 決議権を持つ議員に働きかけて、イスラエルに有利な法案を通すのです。もちろん違法行為ではありません。

 このロビー活動というのは、日本人にはなかなか理解しがたいのですが、例えば、米国で、毎日約100人が銃によって命を落とす現状があっても、 全米ライフル協会という強力なロビー団体があり、銃規制は進みません。

 

 いま米国に、新しいイスラエルロビーが 生まれています。私は数年前に、2008年に設立された、J-Street という、新しいイスラエルロビーのメンバーと話しをしたことがあります。

 彼らは従来のロビーように、イスラエル政府の方針を半ば盲目的に支持するのではなく、批判するところは公然と批判します。

 パレスチナ人との共存もうたっています。若いユダヤ系米国人の中には、イスラエルに対して自分の父母や祖父母が持つ感情とは異なる、現在のイスラエル政府の右傾化に強く懸念を示す人も多 くなっています。

 そもそも、ユダヤ系米国人は、伝統的にリベラル派で民主党支持者が多く、今後20年、30年後も、現在のようにユダヤ系米国人がイスラエルを支持 するのか、私は疑問に思っています。

 むしろ、米国内でイスラエルを強力に支持し、今後も支持するであろう団体は、キリスト教福音派です。

 こちらはユダヤ系とは違って、米国人口の4分の1で8千万人以上といわれています。聖書に書かれてあ ることをそのまま理解し、現在のイスラエル、パレスチナ全てがユダヤ人の所有にならなければ、イエスの再臨はなく、真の意味でのキリスト教の繁栄は来ないと考えて

います。

 私は10年ほど前に米国西海岸のサンタクルーズにある、福音派の教会の日曜ミサに参加しました。

 驚いたのは、このミサの最後にイスラエル国旗が振られることです。 福音派は、エルサレムにも自分たちのテレビ局を持ち、スタッフ駐在の事務所を構えています。昨年の大統領選では、85パー セントの福音派がトランプ氏に投票したといわれています。

 先月(五月)、トランプ大統領がイラン核合意から離脱 し、エルサレムに大使館を移転させたのは、イスラエ ルを強く支持する人たちの票集めのためでした。アメリカファーストというより、自分の選挙当選 ファーストですね。

 福音派の人たちもユダヤ人のために活動しているわけではなく、最終的にユダヤ人がキリスト教に改宗するというシナリ オを持っているそうです。イスラエルにとっ てももろ刃の剣でしょうね。

なぜ中東問題は続くのか?

 この「なぜ中東問題は続くのか?」を「ど うすれば、中東問題が解決に向かうのか?」 と書き換えてみました。

 かつて1970年 代に米国国務長官として、第4次中東戦争停戦、エジプトとイスラエルの平和条約締結のため、両国を往復したシャトル外交で有名なヘンリー・キッシンジャー博士は、中東交渉の際に、“Constructive Ambiguity”「建設的あいまいさ」という自身の造語をよく使っていました。善か悪か。白黒はっきりさせるという西洋的概念から逸脱した言葉だと思いませんか?

 キッシンジャー博士は、自身もドイツ移民のユダヤ系米国人ですが、中東紛争は、欧米の尺度では解決できないことを、現実の外交舞台から認識 するようになったと私は考えます。自分たちの主張と相手の主張の真ん中に、解決策が存在している。

 日本流の、間を取って解決との考えを進めることが、案外平和への近道になるのでは?

 米国追随といわれる日本外交も、中東政策では独自の貢献をしています。

 

 1979年のイラン革命の後、米国はイランと国交を断絶しました。

 日本にも東京のイラン大使館閉鎖の圧力が米国からありましたが、日本はそれを拒否し、大使館を維持しました。

 日本は2015年のイランとの核合意締結の調印国ではありませんが、イランとの友好関係からその締結に寄与しています。

 冒頭「一事が万事」 という話をしましたが、5月の連休前に、安倍総理はイスラエルとパレスチナを訪問しています。

 昨年12月、トランプ大統領のエルサレム首都宣言以来、先進国の首脳でイスラエル、パレスチナ双方のトップに会ったのは安倍首相だけです。

 こういうことは、あまり日本のメディアは報じませんね。安倍首相にスキャンダルがあれば、糾弾しなければいけませんが、しかし、良いことも記事にすべきではないでしょうか?

 

 2006年からパレスチナのエリコという町で、「平和と繁栄の回廊」というプロジェクトが続いています。

 小泉元首相の提唱によって始まったのですが、大きな評価を受けています。

 農産加工団地を建設し、イスラエルとパレスチナが、共同で農業開発に取り組むことで、 信頼関係を築くと同時に、パレスチナが経済的に自立するための基礎とすることを目指しています。

 今、パレスチナでは、若者の60パーセントが失業しています。将来国ができたとき、 生活できるように、技術指導を進めるのが日本の意図です。特筆すべきは、イスラエルも今の時点でも、この取り組みに協力しています。

 イスラエルともパレスチナとも、日本はよい関係を築いてきました。その日本だからこそ、できる事です。もっとマスコミにも取り上げてもらいたいですね。

進展する中東和平プロジェクト

 先ほど中東和平プロジェクトについて触れましたが、あらためて少しく紹介したいと思います。

 このプロジェクトは、イスラエルとパレ スチナの紛争で親族に犠牲者を持つ青少年数人ずつを招待し、さまざまな交流を通じてお互いを理解し、平和の大切さをあらためて認識していただくことを目的にしてい ます。

 毎回プロジェクトでは、最後に首相官邸と東京ディズニーランド訪問が定番ですが、2010年、綾部で開催されたプロジェクトでは東京には行かず、京都の清水寺の森 清範貫主にお会いして、それぞれ一人ずつ 名前入りの染筆を頂きました。今でも大事にしているのかなあ?(笑)

 最後は大阪のユニバーサル・スタジオ・ジャパンで遊びました。

 この年は、できるだけホームステイ先とゆっくり過ごしてもらうことを重点にし、ゆったりとしたスケジュールを組みました。

 ここだけの話ですが、子供たちは首相官邸や国会議員との面談より、ホームステイ先のファミリーと過ごした時間の方が思い出に残っていると言います。首相官邸は、付いて行く大人が喜んでいるだけかもしれません。誰にも言わないでくださいね(笑)。

 

 2013年の京丹後プロジェクトでは、地元の高校三年生の女子生徒が英語で歓迎あいさつをしています。きれいな発音とイントネーションで、堂々と自己表現していました。この交流を通じて、彼女は将来、国連で働きたいとの明確な目標を持ち、関東の大学に進学しました

 首相官邸では、イスラエル、パレスチナの若者代表が、それぞれ立派なスピーチを行い、同行した日本の高校生にとっても大きな刺激になったようでした。こういったプロジェクトを通じて、より多くの日本の青年に、国際舞台で仕事をしてもらいたいものです。。

 2016年、この中東和平プロジェクトは、静岡市と高野町(和歌山県)で2度開催しましたが、2月の静岡でのプロジェクトでは、高校2校を訪問し、現地の高校生とイスラエル、パレスチナの若者との交流を行いました。

 また静岡県立大学国際関係学部とも交流を行いました。この大学での交流は、彼らに、丸一日プログラムを全て任せました。日本人の学生も海外渡航経験を持つ人たちが大半で、英語で直接交流できたことは、中東の若者にとっても、意義ある経験でした。

 プロジェクトは日本の特徴を表した、日本だからこそできる企画であり、日本の中東和平への取り組みとして、もっともっと世界に発信してもらいたいし、発信する努力を続けていきたいと考えています。 (終)